較構文のas○○asの意味はしっかり理解していますか?as○○asの中身は簡単な形容詞だけではないので案外難しいと感じる人もいるのではないでしょうか?実はas○○asの元の文章の意味を考えると捉えやすくなります。今回はas○○asの元の形から語源を解説し、基本構造を理解しやすいように可視化します。こうすることでas○○asの中身が長くても作業工程が同じであることが分かります。
as○○asの意味と基本構造
比較には形容の仕方から大きく3つの形があります。
原級、比較級、最上級です。
比較とは上下関係、すなわち級を表します。
原級とは「上下関係がない、同じ級だ」と言いたい文章で形容詞や副詞に変化を加えないものを言い、原級を使った比較と言う意味で原級比較と言います。
例えば、同じくらいリッチだと言いたい場合、as rich asという使い方をします。
もとの比較は日本語では次のようなものです。
トムはリッチだ。
カレンもまたリッチだ。
この2文を合わせて「カレンはトムと同じくらいリッチだ」となります。
英語で表すと、
Tom is rich.トムはリッチ。
Karen is also rich.カレンも同じくリッチ。
Karen is as rich as Tom is.カレンはトムと同じくらいリッチ。
2文を1文へ作り変える作業工程がロジカルに見えないかもしれませんが、語源的にはこれが基本構造で、as○○asの肯定文を同等比較、否定文を不等比較と言います。
alsoの一つの側面としては、例えば高級外車を買えない人が、2人とも高級外車を所有しているのを見て、「そういえばあの人も高級外車持ってるよね」と言う感覚からくる一定レベルのリッチさに達していることを元にした「同じ」という発言であり、こういう同等表現を使う時点で厳密にどちらがよりリッチかという事は問題にしていません。(問題にするなら文章をつけ足すか、不等表現や比較級、そして最上級などを使います。)
そんなに難しい単語は使っていないつもりなので、先ずはどう変化しているかという事に注目して欲しいです。
もともとのalsoがasを2つ用いた表現に変わっていますよね。
共通項をasで挟むというだけです。
実はalsoとas、さらにsoという単語の核イメージは「等価」の性質であり、語源がsoから派生した仲間という特徴があります。
also(eallswa)はall+soで「全くその通りである」の意味があり、前の発言を受けて同調する働きがあります。つまり「トムと全く同じ程のリッチさである」という等価を伝えたいわけです。
alsoは「もまた」と訳されますが、語源的には「(一定レベルで)全く同じ」と言う意味です。
so((swa))は「その通り」という事なのでやはり等価を表し、asはalso(eallswa)の縮約形(alswa)で「~のように」すなわち、「似ている、同じだ」と言った等価を表すようになります。「リッチさ加減が似ている」という事なので意味的にはなんら違いはありません。
つまり共通項を挟む単語はalsoでもsoでも良かったんですけど、異なる使い方をするようになった結果、alsoの縮約であるasで挟む形が採用されているだけなんです。
と言うわけで否定文の時にsoとasで挟むことが可能な理由も語源が同じだからということにつきます。
asとasの中身となる品詞
基本の形として形容詞を例文としましたが、形容詞以外にも副詞の他、「数量(形容詞)+名詞」や「もっと長い名詞のカタマリ」などをasとasの中身にすることが出来ます。
では順番に例文を挙げて解説します。
共通する副詞を挟む
主語の原級比較
Taro speaks English fluently.
太郎は流暢に英語を話す。
Jiro also speaks English fluently.
次郎も流暢に英語を話す。
Jiro speaks English as fluently as Taro.
次郎は太郎と同じくらい流暢に英語を話す。
「流暢に」は副詞で、これが太郎と次郎の共通項です。
だから「as 流暢にas」の形になります。
目的語の原級比較
Taro speaks English fluently.
太郎は流暢に英語を話す。
He speaks also French fluently.
彼はフランス語も流暢だ。
Taro speaks French as fluently as English.
太郎は英語もフランス語も同じくらい流暢に話す。
太郎は英語と同じくらいフランス語も流暢だ。
共通項は同じですが、比較しているのは目的語の英語とフランス語です。
だからas 流暢にasの後ろは目的語の「英語」を残します。
このように比較対象によって残すものが変わります。
2つの文章がロジックに合流する様子が見えてきましたよね。
共通する「物の数量」を挟む
可算名詞の原級比較
Taro has five dogs.
太郎は5頭犬を飼っている。
Jiro also has five dogs.
次郎も5頭犬を飼っている。
Jiro has as many dogs as Taro.
次郎は太郎と同じ数の犬を飼っている。
共通項は「犬の頭数」で犬は可算名詞の為「as many犬 as」になります。
Jiro also lifted 30 pounds of barbells.
次郎も30ポンドのバーベルを持ち上げた。
Taro lifts 30 pounds of barbells. (太郎は30ポンドのバーベルを持ち上げる。)
Jiro lifted as many pounds as Taro .
太郎は次郎と同じ重量を持ち上げた。
少し挟むものを長くしたバージョンも例文に入れました。
「同じ重量のバーベル」という名詞のカタマリが共通項です。
一見不可算名詞のようですが、30ポンドと数えることが可能なため可算名詞です。
この例文から分かると思いますが、たまたま30ポンドまで重量を扱えることを知っているだけで、厳密によりどちらが重いバーベルを持つかを問題にしていないのです。一方で犬の例文では全く同じ頭数であることが分かります。
不可算名詞の原級比較
Taro has money to buy a private jet.
太郎は自家用ジェットを購入できるほどお金を持っている。
Jiro also has money to buy a private jet.
次郎も自家用ジェットを買えるほどお金を持っている。
Jiro has as much money as Taro to buy a private jet.
次郎は太郎と同じく自家用ジェットを購入できるほどお金を持っている。
共通項はお金という不可算名詞の為「as much お金 as」が基本の形です。
そのお金の用途をto以下で表し「as much お金 as」という名詞のカタマリを置いてtoを最後に持ってくるとスッキリします。
比較の対象2者における前後関係
以上の例文では太郎の例文が先で、次郎のalsoを使った例文が後、そして合わせた文章では主語が次郎になっています。
気づきましたか?
太郎は流暢に英語を話す。
次郎も流暢に英語を話す。
次郎は太郎と同じくらい流暢に英語を話す。
結合した文章の主語を太郎にするとダメなのか?という疑問を持った人は凄い!
結論から言えば、構文上間違いで基本的には不自然です。
分かりやすい例文を日本語で出しましょう。
【1】
トム・クルーズはハンサムだ。
僕の友達も同じくハンサムだ。
僕の友達はトム・クルーズと同じくらいハンサムだよ。
先に来る情報は周知の事実が来ています。そして、次に周知ではない事実が来ます。
合わせると周知ではない事実が先に来ます。これが自然な流れです。
逆にするとどうでしょうか?
【2】
僕の友達はハンサムだ。
トム・クルーズも同じくハンサムだ。
トム・クルーズは僕の友達と同じくらいハンサムだよ。
これって不自然だと思いませんか?
周知の事実が後に来て、周知の事実を主語にして合体させると気持ちが悪いですよね。
【1】の文章なら、「え、マジで!そんなイケメンの友達がいるの?」ってなるところ【2】の場合、トム・クルーズを知っている人なら「いや、お前の友達知らんし。」ってなりません?(完全にないシチュエーションとは言いませんが、言うとしたら「友達にトム・クルーズくらいハンサムな子がいるよ」と言うでしょう。)
これと同じ原理で、日本語も英語でも、先の情報を受けて、「後の情報(主語)は、先の情報と同じくらいだ」とするのが構文をつくる時の流れになります。
太郎って英語がうまいよね。と言うのが先にあって、次郎の英語の流暢さを見て太郎を彷彿とさせた時に、次郎(主語)って太郎みたいだね。という時系列です。
as fluently asの最初のasは副詞という説明がされますが、指示副詞という説明はされません。指示副詞の役割は「前の情報を受けてそれと同じだという為のもの」なので、次郎が主語じゃないと実は構文上間違いなんです。
という事で、そもそも指示副詞のasはalsoの使用法を踏襲していて、次郎(主語)もまた「僕らが知っている太郎の情報と同じだね」と言うのが基本構造になります。
原級比較の否定文
原級比較には今見てきたような同等価値を表す同等比較と、同等価値を否定する不等比較があります。最後にas○○as構文の不等比較を解説してまとめにしようと思います。
Taro speaks English fluently.
太郎は流暢に英語を話す。
Jiro doesn’t speak English so fluently.
次郎は英語がそんなに流暢ではない。
Jiro doesn’t speak English so fluently as Taro.
次郎は太郎ほど英語が流暢ではない。
否定文に於いてsoとasで挟む感覚と言うのが理解できると思います。
とは言え、書き言葉ならasとasで挟む方がいいです。
Jiro doesn’t speak English as fluently as Taro.
次郎は太郎ほど英語が流暢ではない。
このように2者に何らかの差を感じとって、流暢差を問題にしたいなら不等比較を使ったり、なにか文章を足すというのが一つの手段です。
まとめ
如何でしたか?
as○○asの基本構造は理解できましたか?
原級とは形容詞と副詞を無変化で文章に用いることです。
言葉が似ていますが、原形は動詞を無変化で(基本形で)文章に用いることです。
alsoとasとsoは等価を表します。
前の文章を受けて「その通りである」を意味するsoにallを付加し強調したのがalso「全くその通りである」で、alsoを短くしたものがas「おなじだ」なので、同等比較級の構造を考える上では、この3つの関係性を知ることで、基本構造が見えてきます。
①太郎は5頭犬を飼っている。
②次郎もまた(also)、5頭の犬を飼っている。
③次郎もまた同じ数の犬(as many dogs)を飼っているas太郎(が飼っているのと同じように)。
②から③への作文工程はalsoと最初のasが同じ役目を担っているので次郎が主語になります。
また日本語を見てもらうと分かるように③は前から理解することが可能です。
因みに2つ目に出現するasは前置詞と接続詞の機能があります。
元々英語のOSに組み込まれていた自然言語と、ラテン語を参考に規範文法を整理したロバート・ラウスの定義と、それに不満がありながらにラウスの権威を一部認めた後世の文法家よる悪夢のような影響によります。
英語脳は大きく二つのパターンで成り立っていました。
A.誰と/何と比較しているか明らならas前置詞として目的格を使う。
He is as rich as me.
B.比較対象をはっきりさせる必要がある場合as接続詞として主語動詞のフルセットで使う。
Jiro speaks English as fluently as Taro writes it.
これを基本としつつ以下の以下の使用例がありました。
He is as rich as.
文脈上比較対象が分かればas以下何も書かないというパターンです。
ラウスはasの比較は文章と文章の比較なんだからラテン語のようにHe is as rich as I am.と書くよう強いたのです。彼は自然な英語に逆らい接続詞の用法だけを是としamやwriteの省略を許しませんでした。ここで初めて前置詞や接続詞と言う概念が英語に持ち込まれます。
しかし後世の文法家がラウスの接続詞としての用法を擁護しつつ、利便性のため動詞の省略を認めたのです。
今学校で教えられている接続詞としての動詞の省略は元々英語脳にはない不自然な用法なのです。
だから”口語では前置詞as+meは認められている”と注釈が付くのは自然な英語脳が強要された文法に反発して起きている現象だということです。
からくり英語の例文で動詞を書いてないのも比較対象が分かるから目的格として前置詞asにくっつけてあるので、ラウスが不自然な定義をする前の自然な英語にしてあるからです。
”口語ではmeも許容されている”のではなく、実は先祖還りした本来の姿なのです。
この記事が良かったと思ったらぽちっとして下さい / ▼ぜひSNSシェアもお願いします(__)▼
英語ランキング
